私4

小学校の頃の話はまだたくさんある。私には友達は居なかったが、幼馴染みはいたしそれなりに遊んだりもしていた。思い出せることは冬になけなしのお小遣いでジュースを買ったら集られた事、ゴルフの真似事で前歯が折れ血が出たり、父親がいなくなったことで不安定になったのかは知らないが、万引きに手を染めたこと、バレて怒られたこと、あと休日の小学校の鍵のかかってない場所の扉を開けて警報を鳴らせてしまった事、幼馴染みとたくさん喧嘩をして一度だけしか自分から謝らなかったことくらいか。
ここまで書いて、私は小学校時代から自己中心的で感情コントロールが下手で、奴隷気質のある無知で馬鹿な子供であることが露呈してきた。全文削除も考慮しつつ、続く。

小学校には毎月頭に班長会がある。集団登校する中で最上級生には旗と棒が与えられ、それを振り回しながら登校する役割にあるのが班長だ。
当時六年生だった私は班長でありながら寝坊遅刻サボりの常習犯であったため、班長会には当然のごとく不参加だったしたまに参加しても、一度も発言や起立をしなかった。

ところで話は変わるが、私の母と父だった男は怒ると私を殴る、蹴る。あざは多分なかったと思うが、痛かったし不快だった。怒って暴力が許されるなら私だって、と何度も思ったものだ。
そうして育った私は中学二年の冬にとうとう不登校が過ぎて、暴力が度を越え、焼きこそ入れられなかったものの、熱した包丁で左手の甲を焼かれたのである。これは今でも跡がある。